Buddha's Face Sandwich

喰う寝る遊ぶ

最近観た映画(千年女優など)

TSUTAYA DISCUSの単品55円セールで借りたDVDが届いたので、午前中に観た。これは脱北者のインタビューをまとめたドキュメンタリーで、「観た」と言うことも憚られるくらい(自分も真実を知ったことを勘付かれて攫われて殺されるのではないかという意味で)酷い現実の話ばかりが続く。気が滅入った。

人間の人生にはたくさんの経験や感情が渦巻いているが、死はその積み上げてきたものを全て呆気なく消し去ってしまう。無論、遺された人たちに思い出という形で残るものはあるかもしれないが、その人自身の人生はそこで終わりである。もしかしたら霊体として送る第二の人生もあるのかもしれないけど、私は「死んだら全てがプツッと終わるだけ」だと思っているので……棺桶に入っている人は、死体である今は無念という感情すら抱けない。と思う。多分、突然亡くなる人は混乱の中で急に人生が終わるケースばかりだろう。自分の人生を振り返る暇もなく、悲しむこともできず、ぱったりと人生が終わる。飯に困らず平和に暮らしている我々にすら、そんな無慈悲なことが当たり前にあり得る、ということが恐ろしいし、絶望的に感じる。「明日が来るのは当たり前ではない」と真に気づいてしまった。明日、私もバラバラになって死ぬかもしれないのだ。

まして権力者の都合だとかで適当に、人為的に人の生命を操作するなど、本当にありえないし信じられない。どういう神経しているのか。残酷すぎて言葉にならない。きっとそういう境遇に生きる人は思っているよりも世界にたくさんおり、そして人は生まれる場所を選べない。不均衡だなと思うし、自分は幸福でよかったとかそんな風に簡単には思えない。不幸な人と同じだけ不幸でいる必要もないけど、そういう暮らしをしている人もいるのだということを忘れずにいたい。でも、忘れずにいることはとても苦しいことだし、それを胸に置いておいても、何ができるわけでもなく、辛いだけのような気もするが。「食うに困る人もいるのだから」と自分の精神的辛さを矮小化するのも違うと思うし。

とにかく最近は、明日があると当然に思っていた人々、予定も楽しみなこともたくさんあったであろう人たちの明日が突然なくなってしまうことへの言いようのないやるせなさ、悲しみ、みたいなもので胸が覆い尽くされている。色んな人が亡くなっていて、ずっと心の中で誰かを弔っていて苦しい。もし神がいるなら、もう誰も殺さないで欲しい。

・昨日は千年女優リバイバル上映を観てきた。昨年にはパーフェクトブルーリバイバルも観られたし、今回も観られてとても良かったなあと思った。架空の昭和の大女優・藤原千代子の人生をテーマにした作品だけど、現実と出演作品が入り混じりながら話が進むので、以前観た時は正直「よく分からん話だな」と思っていた。でも、今は千代子の気持ちがよくわかる。自分の近くにいてくれるでもない遠い存在を追いかけ続けるのは幼稚なこと、現実が見えていないと思われるかもしれないけど、一度心の中に相手が棲んでしまったら、もうそれを振り払い、消し去ることは難しいのだ。いつか「バカだった」と気づくかもしれない。後悔する日も来ると思う。でも人は自分の感情を無視して、利益だけで進んでいくことはできないのであろうなと最近は思う。ひと目見ただけの人に恋する藤原千代子と重ねることが正しいかわからないけど、私も岡村靖幸さんが好きで好きで好きで好きでたまらなくて、必死に追いかけている今の自分が好きだと思う。『だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの。』これに尽きる。

今敏監督の作品は大好きで本当に名作揃いだと思うけど、今監督も亡くなっている。色んなことを思い、エンドロールでは涙が落ちて落ちて、胸元がびしゃびしゃのまま帰った。ロタティオンは元々好きな曲だったけど、昨日初めて理解できたと思う。し、映画館で聴くのは単純にとても最高な体験だった。

好きな人がみんないなくなって、自分も皆を追いかける時、「ああ、また向こうでみんなを追いかけられるんだわ」と安らかな気持ちで行けたらいいなと思う。自分も。