Buddha's Face Sandwich

喰う寝る遊ぶ

好きな人やもののことを、もっとちゃんと分かりたい

土曜日はいよいよ岡村ちゃんのツアー「テクニカルサポート」の千秋楽です。私も行ってきます。極貧旅行なので成田から横浜行ってライブ見てそのまま成田戻って成田のカプセルで寝て朝帰るっていう強硬プラン……。さっきまでファンレターの文章考えてたんだけど、なんかつらくなっちゃってとりあえずブログ書くことにしました。

ese.hatenablog.com

昨日この記事を読んだんですよ。「岡村靖幸」で検索すると度々見かける記事で、でもたぶん読んだことはなくて。昨日たまたまTLに流れてきたので読んだんですけど……この方が書いていることが全て岡村ちゃんの狙い通りなのかはわからないけど、読んでみて物凄く納得感があったし、好きなものをここまで言語化できるのって本当に凄いなって思って。

私は中学くらいから音楽のことずっと好きなつもりだけど、でも理論とか用語とかに詳しくなさすぎて「ここがこうなるのが気持ち良くて好き」とかそんなことしか言えないのね。詳しくても詳しくなくても「好き」と言う権利はあるとは思うんだけど、でも好きな人のことってもっと知りたいし分かりたいじゃない?それが、今のところ自分にはできないんだな、他人の翻訳の力を借りないとできないんだな……っていうのが、なんか情けなくて、寂しくて。それに「音楽好き」って言っても、日本の音楽しか聴いてないし、結局活躍してる人って本当に色んな国の色んな音楽聴いてるから、知識量的な意味でも全然ショボいし、岡村ちゃんどころか「音楽」そのものも好きと言うにはあまりにも浅いなっていう感じ、そういう落ち込みもある。

周りの友だちも作曲してる人多いし自分もやってみようかなって思ってDAW入れてみたりしたんだけど、なんかもうてんでダメだしすぐ飽きちゃうし。音楽のこともっとちゃんと好きになりたいなってずっと思ってるんだけど、行動が伴わないってことは結局そんなに「ちゃんと好きになりたい」とは思ってないってことなのかなあって思ったり。なんか、なんにもできないなあ、何にもなれないなあ、って感じ。別に何者かになりたくて、そのための手段としての音楽、というわけではないんだけど。

岡村ちゃんと何らかの形で一緒に仕事出来たらなあ、と夢見たりもしたけど、岡村ちゃんのライブ前の映像とか見ると、もうその緊張感たるや……当たり前だけどプロの世界だなあって。毎日ぐでぐでテキトーに生きてる自分に入り込める世界ではないなあって思って、また無力感。何かを続けてる人たち、ここで「いや、できる!」と思って自分を奮い立たせてんのかなあ。なんかそんな調子で、自分が今岡村ちゃんに投げ掛けられる言葉なんかないなっていうか、ほんと「大好きです。身体に気を付けて頑張って」くらいしかなくなっちゃうし、そんな熱量のない手紙を貰ってもかさばるだけかなとか思って、参っちゃってる。

ガチ恋ってつらいな、ふつうに。どうしようもない遠さを痛感すると本当に寂しくなるよ。自分のことを知ってもらうことすらできない。隔絶されているなって思う。既婚者のファンの人とかどうやって気持ちの折り合いつけてるのか分からない。いや、普通は折り合いつけるまでもなくこんなにガチで好きになることはないんだよな多分。なんかそういう適切な距離を持って人を好きになるのが物凄く下手な気がする。ファンレターに珍しい境遇を書いたりとか、本名とハンドルネームどちらも添えて少しでも印象付けよう、認知を得ようと足掻く自分の浅ましさにもげんなり来る。自分、「ファンの矜恃」みたいなものが好きというかそういうのを大事にしたいタイプなのか、「こうなったらもう何もせずただ静かに靖幸を見守り、応援する方がかっこいいのではないか」みたいな風にも思えてきて……この期に及んで推す姿勢に美学を見出してるのもなんだか気持ち悪いけど……。

でもさ、そういう「音楽コンプレックス」みたいなものを綺麗さっぱり忘れられるくらい、岡村ちゃんのライブは本当に楽しいの。岡村ちゃん自身も、曲っていうか『音』に乗って、『音』を楽しんでる、って感じがするし、私も岡村ちゃんとバンドが出す音、リズム、メロディ、全部を身体で感じて全身で楽しんでるって感じがする。大体のライブは根本的にそうだと思うんだけど、でもなんか……なんだろう、そう思わせてくれる熱量とパワーがあるっていうのかなあ。岡村ちゃんのライブはとにかく特別なのよ、今の私にとっては……。

そんな感じでした。は~、なんか片思いしすぎてつらいみたいなモード入っててこの感じ懐かしいけど、相手が遠すぎる(色んな意味で)っていうのがやるせない。やるせないってか、そんな自分がおぞましい。では、また書きます。