Buddha's Face Sandwich

喰う寝る遊ぶ

正月休み雑記

あけましておめでとうございます。全然……おめでたくないですね。こんなにもおめでたくないことが続く新年があっていいのかと思ってしまいます。新潟・金沢方面にお住まいの方々は、明日の見えない大変不安な日々を過ごされていることと思います。自分にできることは、祈ること・寄付をすることしかなく……それが一層心苦しく、ニュースでの惨状を見ては心がすり潰される思いです。よその地域に住む自分ですらそうなのだから、況んや現地にいる皆さんの心情は、筆舌に尽くしがたいものでしょう。皆さんが心穏やかに過ごせる日が一瞬、一秒でも早く戻ることを心の底から願っています。

さて、私は私の生活について記録を残そうと思います。震災から心的影響をモロに受けているので、あまり楽しい内容ではないですが。

・震災関連のニュースから距離をとる必要があるとわかりつつ、ついつい見聞きしてしまってショックを受けたり暗い気持ちになったり、ということを繰り返している。SNSで見かけてしまうのもあるし、実家にいるのでテレビの統制権が自分になく、情報を完全に遮断することが難しい(イヤホンをすればいいのだけど)。

・実家で過ごして1週間になるが(早い)、一人暮らしに慣れ過ぎて、実家の"ずっと誰かしらの存在を感じる環境"に辟易してきている。早く一人きりのしんとした部屋で横になりたい。湯船に浸かって静寂を楽しみたい。実家は湯船に浸かる習慣がないし、最近毎日お酒を飲んでいるので身体の調子も良くない。我が家は洋風おせち派なので、残ったおせちを食べているとワインが飲みたくて仕方がなくなり、1人で赤ワインをガバガバと飲んでしまう。31日からずっとこんなことばかり繰り返している。しかし大好きなパテをワインなしで食べる時のあの言いようのない物足りなさには耐えられない。暴れ出したくなる。パテが「俺はワインと食べるものだ!!!」と叫んでいるのを舌の上で感じる。そういう時は腹を決めて飲むしかない。

・毎年感じていた違和感の正体が今年やっとわかったんだけど、おせちって見た目は綺麗だしおいしいけど人数分おかずが入っていなかったりするので、「エビ食べたいけど、他の人食べるかな……」などという遠慮が発生してなかなか食べ進められない。「毎年、食べ始めるまではすごく嬉しい気持ちなのに食べ始めるとやたらに戸惑うのはなぜだろう」と思っていたけど、そういうことだと思う。今、すごく定食が食べたい。定食は私の食べて良い範囲のものが決まっており、遠慮がいらないから。

・ちなみに今年の年末は家族で紅白を観て大合唱して、ゆく年くる年が始まった途端に爆睡して気づいたら朝4時だった。正しい正月の過ごし方だと思うが、毎年欠かさず見ていたおもしろ荘を見逃したことが悔やまれる。忘れないうちにTVerで観たい。

・昼間、母から「出掛けたくならないの?買い物とか行きたくならない?」と声を掛けられ、「これは『娘が出かけたいと言わないと私も出かける理由ができないから出かけたいと言ってくれないかな〜』ということだろうか」と考え始めて、ちょっとげんなりした。私はそういうまどろっこしいのがすごく苦手なので上記をそのまま問うたけど「いや、気を遣って聞いただけよ」と言われ、しかし母は口では否定するが実際は他人に連れ出されてやれやれと言いつつ内心喜ぶタイプのような気もするのである。25年共に生きていても自分は母のことをよくわかっていないんだなと思った。し、そう思うなら連れ出してあげればいいのに面倒だからと気づかぬふりをして部屋にこもってしまったので、自分は優しくないな、と少し落ち込んだ。

・実家にいるとささやかに落ち込むのは、自分がどんどん小さい人間になっていることが可視化されるからだと思う。母のパートの愚痴などを聞いている時に、内心「それはもう答えが出ている、なんて生産性のない話なんだ。この時間で他のことができるのに」と思っている瞬間があった。一瞬である。そもそも人の愚痴に生産性などないし、仮に答えがわかっていても「話を聞いてもらって溜飲を下げたい」という気持ちを昇華するために人は愚痴を言うのだから、気持ちとしては聞いてあげたい。しかし一人で過ごす時間が長すぎるとどんどんわがままになり、そういう感情がカットインする瞬間が生まれてしまうのである。なおかつ、多分肉親だからこそ、甘え故にそういう気持ちが抑えきれず漏れ出てしまうんだと思う。理屈ではわかっていても感情は止められない。多分自分では出していないつもりでも顔に出ている瞬間があったのであろう、「こんな話どうでもいいよね」と切り上げられた時があった(また後で別の愚痴が始まるんだけど)。申し訳ないと思いつつ、用事の都合上あと2日は頑張らないといけないが、早く、1人になりたい……と思う。

・こういう甘ったれたことを思っては「今まさに家を失ったり家族を失ったりしている人がいる中で何を甘えてんだか」とまた嫌な気持ちになったりしている。なぜ今大変な思いをしている人がいる中で私はのうのうと生きているのか。ガザの紛争が始まった時から時々その思いが胸に去来しては立ち止まらされている。結局、そこには偶然以外の理由なんてないんだけど。

・昨日、岡村ちゃんについてのすごく良いブログを見つけて大変衝撃を受けた。というか、岡村ちゃんについてのブログ記事は良いものが多い。以前見たアイドルマスターのライブレポもすごく良い記事ばかりだったので、そもそも人の熱がこもったブログというのは面白いんだと思う。でも、私はこんな文章全然書けてないな、と思って、すごくショックだった。私のレポートはなんというか……人に伝えるための装飾が少なくて、ここがよかった・あそこがよかった、どこを見てどう感じたという記録、ただの記憶の外付けHDD記事にしかなっていない気がする。臨場感のある、読み物として面白いものになっていないと思う。そこまで精細に描けるほど記憶が残っていないというのもあるけど……。

・というか、私の日記の書き方ってずっとそんな感じな気がする。自分の感情の流れを正確に書き留める、みたいな……。「事実や感情の動きを書きたい」という心情と、「ドラマティックに書いた方が見栄えはするだろうな」という事実の狭間に生きている。でも、私は岡村ちゃんの音楽を聴いた時の熱情を一番素敵に表現できる人間でありたいと思う。

・最近は音楽体験を言葉にする訓練として、わからないなりに感想を書き留めながら初見の音楽を聴いたりしているけど、その感想が音楽的に正しいのかどうか誰かに精査してもらわないと意味がない気がしてきている。誰に頼めばいいのかわからないけど……。音楽ジャンルの細かな隔たりが未だによくわからない。

今日のところはこんな感じで。早く世界に安寧が訪れますように。それでは。