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「死ぬこと以外かすり傷」を読んだ

相容れない考え方を理解しよう月間として箕輪厚介氏の「死ぬこと以外かすり傷」を読んでみました。どうしても「セクハラした人」という色眼鏡で見てしまったけど、わかりやすい(文章自体が小難しくないのに加え、何度も同じことを言うので嫌でも言いたいことが伝わる)しボリュームもそんなにないので、手に取りやすい本だろうなとは思いました。あんまり本読まない人向けだと思います。

 

以下、共感ポイントです。

これはこの本を読む前から感じていたことだけど、今は誰もがSNS(特にTwitter)をやる時代だから、どれだけ人々を扇動し、ムーヴメントを生み出すかが大事なんだな~と思いました。最初はハッタリでもいいから自分をデカい人間だと見せ(もちろん口だけではなく行動もしていく必要があるけど)、成果が上がるにつれて段々ハッタリが本当になっていく、というか。あと、人はストーリーに共感して物を買うって話とかも、何もかもが・誰もがそうとは思わないけど、共感できました。

 

以下、共感できなかったというか、う~んポイント。

私とこの人(やこの人を支持する人)は何もかも違うし、目指したいとは思わないな~と感じました。「こうはなれない」とも思うし、「なろうとも思わない」。そういう月間だから当たり前なんだけど、私にはミスマッチな本でした。そもそも何者かになろうと思ってない。

これは完全に考え方の問題ですけど、我々の人生は全てがドラマで、サラリーマンでもレジ打ちパートでも社長でも、すべての人にドラマがあって、みんながそれぞれ「何者か」であると思っています。そして、どれも私の価値観では同価値なものだから、他者に自分の存在を知らしめたり、抜きん出た才能みたいなものを認めさせる必要はないと感じています。だから、言わば社会の歯車として上司に従い忖度する人々を「愚か」と吐き捨てる価値観があまり理解できませんでした。「『何者か』になりたいならその選択は辞めた方がいい」という書き方ならわかりますが。大体、社会の歯車が要るからあなたは抜きん出た「何者か」になれてるんじゃないのか、と思いました。まあ多分強い言葉の方が伝わるからそういう言葉選びをしているんだと思います。

 

あと、地方で生きていて学力的にも金銭的にも地方私大にしか通えなかった家の子的には、どうしてもすべてが「"東京"に生まれ育って早稲田に通えるだけのお金のある家の人の発言だな」としか思えませんでした。「金のために働くな(やりがいや目的のために働け)」ってワードがよく出てきたんだけど、お金に困ったことがない人しか言えない言葉じゃないですか?お金のためだけに働くよりも、何か目的ややりがいに向かって働いた方がよっぽど楽しいのは、それはもちろんそうだと思います。でももし彼の家がとても貧しくて、彼が早稲田ではなくもっとネームバリューのない国公立を卒業した末に今があったとしたら、彼の両親が子どもの教育費を捻出するために必死に仕事をしているのを間近で感じ取っていたら、彼は同じことを言っただろうか?と思ってしまうんですよね。本を一冊読んだだけで他人の家庭事情を邪推するのはあまり良くないことかもしれませんが。

そもそもターゲットなのは貧しさにあえぐ人ではないのかもしれないし、「お金に困っているわけじゃないのに働く目的がお金になっている人」に対する言葉なのかもしれなませんけど。

あと、「誰かの本を出した時にゲリラサイン会をして、普通は本屋に『事前に許可を』と言われるところだけど何も言わずにやって、書店には迷惑を掛けたけど、結果的に取材とかが来てゲリラサイン会がムーブメントになった」という話で……一言一句にこだわる時点で相容れないんだろうと思いますが、書店に迷惑を掛けたことを「書店には迷惑を掛けたけど」の一文で終わらせるところもなんかこう……私は本屋で働いたことがないんでその行為の迷惑度はわかりませんけど、自分の成功のためなら他者の犠牲を厭わないタイプなのかな……と思いました。セクハラに関しても、なるべくしてなった感があるというか……いつかアレも本にしてエンタメとして昇華するのかもしれないなと思うとなんとも言えない気持ちになります。多分一緒に本を出した仲間たちは誰もセクハラ"くらい"じゃ付き合いを辞めたりしないと思うんですよね。ほとぼりが冷めたころにまたむくりと起き上がってひっそりとやっていくんだろうな~と思うと、被害に遭った方が本当に気の毒な気持ちになります。

あと「なんでも『やります』『行けます』と言え」的な言説、いつも見る度に思うけど、なぜあなたがどこにでも臆せず行けるかは本当に真剣に考えた方がいいし、箕輪さんに関しては「何にでも二つ返事でやりますと言うのは危険」という実例をまた一つ作ってしまったんだ、自分の言説を自分で否定するような行動をしてしまったんだってことをちゃんとわかってほしいって思いました。最初から若い男性に向けたコメントでしかないなら、冒頭にでもそう書いてほしいけどね。飲み会はどこにでも行けみたいな話も聞くけど、臆する理由は単に「面倒」だけではないこともある、って話です。

あ、あと割と「編集は人々の気持ちを読み取る力が大事」みたいな話がちょこちょこ出てきて、それはそうだなと思うんですけど、大勢の気持ちは想像できても目の前の個人の気持ちは想像できなかったんだろうか……と思ったりもしました。

なんかすごい脱線してしまった感があるけどそんな感じでした。セクハラの話がなかったら私も普通に熱狂して鼓舞させられていたかもしれませんけど、どうですかね。もし読んだ人いたら感想教えてほしいです。ではまた書きます。。