Buddha's Face Sandwich

喰う寝る遊ぶ

20190512

わたしは水商売をしている友だちのことを羨望しながら嫉妬して、侮蔑してもいます。男の人にお金を使ってもらう仕事というのを、わたしはどうしても認められないんですよ、一人遊び用の性産業は認められるのに。なぜかというと、それはわたしが選ばれなかった人間だからです。選んでくれた人もいるんですけど、多くの人間には選ばれなかった人間です。多くの人間に選ばれることに特別な価値はないってわかっているんです。それなのに、一人の人間に選ばれたことよりも多くの人間に選ばれなかったことを悲しんでしまう自分が悲しい。こういうことを悔しがることは今一緒にいてくれている人への最強の侮辱で、わたしは彼の寄り添いをもっと大事にしなければいけないんです。

 

だけど彼女たちの美しさにはやっぱり逆らえなくて、羨望と嫉妬と侮蔑と、それらの入り混じった気持ち、歪みきった好意みたいなものがずっとあって、彼女たちはわたしにとってずっとミューズなんです。見守ることしかできない、受動的にいるしかない、わたしよりもずっと高いところにいる人と思ってしまう。でもやはりそれは美しさに起因するもので、「わたしは見た目の美しさに囚われたくない」といつも叫んでいるのに、美しさに囚われ美を追求する彼女らの美しさに勝てないんです。

美しさに囚われている人々の多くには「美しさによって他人から差別される経験」があって、彼女らはその悲しみを二度と味わいたくないがために、『選ばれる』ために美を追求しますが、わたしもまた彼女らを美しさで選んでいると思うと、わたしの思うことなんてとても無力でなんの整合性もないものなんだ、と思って精神が地に落ちてしまうし、そういう意味でわたしはルッキズムに囚われた人間だな、と思います。わたしの友だちは主観的に見て顔のいい人ばかりなのですが、結局そういうことなのかもしれないな、と思います。それに、美しさに囚われる彼女らを男性の容赦ない選別から救うことができるのは、また男性でしかなくて、昔からずっとそう、わたしの「大丈夫」とか「十分可愛いよ」とか「きれいだよ」とかそういう言葉は彼女らの前には全く歯が立たないんですよね、男の人の、それも彼女らの好きな男らの言葉でないと全く意味がない。それがひどく悲しい。

メイド喫茶に通い詰める理由は、結局のところ男性に選ばれないから、女性に選ばれようとした結果なのかもしれません。わたしはずっと多くの誰かに選ばれたかったんだと思います。

 

これは友だちに見せている用のブログに書こうとした文なんだけど、せんぱいも見ているし、こんな「お前は無力だ」みたいな文章を読ませるわけにはいかないから、こっちに書くことにしました。「若い女のなんでもできる貴重な時期を遠距離に費やすのはリスキーだよね」みたいな話の追記として書くつもりの文章だったんだけど、思いのほかコンプレックスにフォーカスした話になってしまった。せんぱいのこと好きだし、これは本当に、せんぱいへの侮辱だと思うのですが…ごめんなさい…

今こそせんぱいと話したい夜なのに向こうはお母さんが来ていて話せないしもう寝ている、悲しいし、そうか~声が聞きたい夜ってこういうことだったんだな、みたいなきもちになる。とはいえ、せんぱいにこんな話をしても、なので、「ほとけちゃん、すきだよ~」だけ言ってくれればいいのですが。瞬間移動してせんぱいの布団にもぐりこめたらいいのに。あの懐かしい匂いを嗅ぎたい、触れたい、あと4日間かあって思ったら近いけど、距離が遠すぎる