20170831

電話は会話のログが残らないからすこしさみしい。こんなこと言われたあんなこと言われたって、電話を終えるとそれらの記憶がすべて抜け落ちてしまうからかもしれない。六回生としゃべっているととても心地いいしきちんと話も聞いているはずなのに「話をした」という事実だけわたしの中に残って、中身が全部抜けてしまう。ライク ア パンの耳。わたしはクマグスに思いを寄せていたあたりの頃から記憶を遺しておくことに執着しがちなところがある。

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六回生のことをわたしは陰でネタにしている。己のしていることの最低性もわかっている。「30歳童貞」という言葉の持つパンチの強さをわたしは利用しちゃっているのだ。でもたとえ30歳童貞でフリーター目前でもわたしは先輩がすきだ。だいすきだ。だからたぶんこれは貶し愛的なものなのかなと勝手に思っているけれど、それにしたって先輩的にはネタにされるのなんか絶対嫌だろうしわたしもわたしで(ひどいことをしている)と心のどこかで感じている。こうしてブログに先輩のことを書くのだってある意味ではネタにしているみたいなもんかもしれない、まあでもそれは先輩だってあたしのこと知り合いとの間で話のネタにしてるんだからフィフティ・フィフティとも言えるけれど

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さっき先輩と喋っていて、親にわたしたちの関係がバレるとかバレないとかいう話で、「でも30歳の男の人と付き合ってて~とか言えないよなあ」みたいなこと言ってしまって、ここでは伏せるけれどもこの話における問題点はそこではなくって、歳のことなんかどうだってよかった、なのにわたしはそこで文章にパンチを持たせるいつもの癖で歳の話を織り交ぜてしまったわけ、先輩はここでわたしを怒ったりひどいなあなんて漏らさず(事実だからなあ)と少し悲しみつつもあっさり受け止めてしまうのではと思った、怒ってくれ、わたしを叱ってくれ、ひとりで悲しみを抱えないでくれと思った、案の定先輩は怒らなかったし事実を現実としてあっさりと受け止めてしまった、わたしは謝った、でも先輩は全然ちっとも気にしていなくて(少なくとも文面上では)、その瞬間、なんだかわたしは喋れば喋るほど墓穴を掘るというか先輩をどんどんどんどん傷つけて行ってしまうような気がして、まして先輩の文章は感情が全然見えないから、不安で、抱えていた不安をすべて吐き出したのだけれど、たとえば歳とか社会的なこととかどうでもよくってわたしは先輩が好きで先輩と一緒にいたいからいるのだというようなこととか、先輩がひとりですべて抱え込んでひとりで悲しんで「おれにほとけさんは幸せにできない」とか勝手に結論付けて一人でどっかに行ってしまうこととか全部そういうのが不安だって言った、おうちには親がいるし深夜この時間から出歩くのは不自然だから外にも出られないし今すぐ会って抱きしめたいのにそれもできないし声も聴けないしでもう気持ちがむちゃくちゃだったけれど、先輩が「声出せないなら聞いていて」って電話かけてくれて、電話口の先輩の声、電波が悪いのか泣いているのか震えていて、「歳とか全部どうでもよくて俺のこと好きだから一緒にいるんだって言ってくれたのすごいうれしかった」「ほとけがいるから頑張ろうって思えるし、そこで腐ることはないよ」「おれ鈍感だから傷つけるとか心配しなくていい」みたいなこと言ってくれて、わたしは電話口でぐすぐすしていてしかも電波も悪くてあんまり聞こえなかったのだけれど、でもうれしくて、うれしくて、わたしの言葉で先輩が喜んでくれているってこととか、こうして腹割って話してそれに応えてくれているってこととか、もう全部うれしくて、電話口ですぐ泣くわたしは重たいよなあ、とか今になっていろいろ思うんだけど、でもわたしの不安を受け入れてくれたのがうれしかった、先輩のこと本当はもっと子供な人だと思っていたけれど思ってたよりいろいろ考えているしきちんと節度あるし大人だし、社会から見たらどうか知らないけどわたしにとって先輩はわたしよりずっと大人だった、当たり前だ11個も違うんだから、あ~~~同級生じゃなくってよかったなあ、とぼんやり思ったりもした、最初は援交みたいとかギャグみたいとか思ってたけど、今は先輩とお付き合いできて、先輩が初めてでよかったなと思う、適当な同級生と付き合っていたら勝手に傷ついたり傷つけたりしてお互いダメージを負ってしまっていたような気がする、そういうのがナシってことではない、けど

相対していなくても、実体のない抱擁みたいなものを先輩から強く感じる瞬間がよくある、包容力的なことなのだろうか

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時々クマグスや昔好きだった男のことを思う。彼らとの思い出は六回生とはまた別で大事な思い出だけれど、好きな男は時の流れによって移り変わっていくし、誰に愛情を注ぐかも変わっていくし、当時私が彼らにぶつけた愛情って今彼らの記憶の片隅にあるのかしら、とかいろいろ思ったけれど、でも今はわたし、六回生がすきだな、ってそこに帰結した、しかし仮に彼らにぶつけた愛情がもうすっかり忘れ去られていたとしたら、当時のわたしの悲しみ苦しみたちは一体どこへいってしまったんだろう、時空の流れに取り残されたままなのだろうか

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以上今日のレポート。六回生と毎日電話する記録、今日で打ち止めかなあと思ったけど、結局そうはならなかった。しかしこんなに愛を受け愛を注ぎ(交際2週間のくせに愛とか言うのは馬鹿げているかもしれないけど、ほかに形容の仕方が見つからなかった)、みたいな関係を繰り広げているはずなのにどこか空虚というか中身がないというか、互いの言葉としての『好き』に実体がないような気がするのはなぜなんだろう、気のせい?会えばまたぐっと好きになる、そのような感じがわたしの中にはある

六回生の頭をわしわししながらぎゅっと抱きしめるあの瞬間がたまらなくすきだ、幸せを10倍濃縮してカプセルにしたらそのカプセルの中にはあの瞬間が10回分入ることになるんだろうな

明日は六回生に会えるのでたのしみ。今日の分たくさんハグする。今の心境のまま行くと先輩の腕の中でわんわん泣いてしまいそうだけど、きっと大丈夫、と思う。一晩経てば忘れる。おやすみなさい。