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20161216

わたしの学校の理科の先生には幼い娘と奥さんがいて、彼はしばしばうれしそうに娘の話をしては溺愛パパぶりを発揮していたのだけれど、昨年あたりに彼の奥さんが体調を崩して入院してしまって、一時期授業を休んでいた。学校に出てきてもいつも憔悴しきった表情で、それでもお仕事なので、なんとか頑張って教壇に立っていた。特別その先生のことが好きだったわけじゃなかったけれど、見ていてどうにも切なかった。今彼が教壇に立っているこの時間、幼い娘はどこにいるのか、誰に面倒を見てもらっているのか、奥さんは大丈夫なのか、ずっと気になっていた。詳しい病状については触れていなかったけれど、表情で深刻さは伝わっていた。彼の置かれた状況の過酷さがつらかった。でも、時間が経つにつれて先生の表情も変わっていって、以前の先生に戻って、入院のことは忘れていった。奥さんの話もたまに出るようになって、あ、大丈夫なんだな、よくなったんだな、と勝手に思っていた。

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今日がその先生の最後の授業だった。理科を学ぶことの大切さを語る中で、『うちの嫁は悪性脳腫瘍で、もう先が長くないのだけれど、』と、彼はあっさり言ってのけた。わたしにはその一言が衝撃すぎて、後の話が全然入ってこなかった。

『もう先が長くない』をあっさり、悲しい顔もせず、あたりまえのことみたいに言えるようになるまでに、どれくらいの葛藤や苦悩や悲しみや、その他諸々、があったのかと思うと、かなしくて、かなしくてだめだった、先生は決して生徒に悲しんでほしくてそれを言ったわけじゃないということはわかっているけれど、彼はまだ若くて、おそらく奥さんだってすごく若いのに、どうしてそんなことになっちゃうのかと思うと、やりきれなかった、残された先生と幼い娘の生活を思うとなおつらかった、娘は大きくなったときおかあさんのことを覚えていられるのだろうか、先生は別の奥さんをみつけるのだろうか

他の生徒はみんな授業が終わった後ふつうにふつうに笑っていて、あくまでも他人の話というか、深く悲しんだり苦しんだり、つらくなることではないのかな、と、思った、「ハ~終わった終わった」みたいなこと、全然ちっとも思えなかった、わたしが心配する事でも悲しがることでもないのは十分わかっていたけれど

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どうにもまとめらない、ただただ悲しいです、先生も家に帰ったら娘を抱いて泣くのかもしれない、人に見えないところではどうなのかわからないけれど、生徒の前ではきちんと切り替えて頑張れる先生はほんとのほんとにすごい、奥さんがよくなったらいい、本当に、心の底からそう思う、悲しくってだめだ

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もうひとつ、ちょっとだけ明るい話をします。

12月初めくらい、あるいはもう少し前から、自分もきちんと陰口を叩かれているんだということを知ってずいぶん悲しくなったりやけに周りの声に過敏になってしまったりしていて、今もその状態にあります。今まで良い人たちに囲まれてきたおかげで、明確な悪口や批判や、そういったものに晒されたことがほとんどなくて、高校に入ってからもそうで(意識していなかったけれど、それってすごくしあわせなことだよね)、他人のそういう話を聞いても、自分はそういうこと言う人たちとあまり関わりがないし、対象にはならないんだと勝手に思っていた。むしろ有難いことに、あまり仲良くない人からにも褒めてもらえることばかりだった。でも本当、些細なこと、たとえば声がちょっと大きいとか、リアクションが大きいとか、そういう、彼ら自身の『ふつう』の物差しからちょっとはみ出たくらいのことで、面白いと思って言ってるのかよくわからないけれど、すぐああだこうだと言っちゃうらしい。これはあくまでわたしの見解なので、実際のところはわかりません。

ひとり、わたしの自意識過剰じゃなければ、今も継続してそういう、からかいというか、わたしが通り過ぎるたびにわたしの物まねするとか、そういうことしている人がいて(真偽のところは正直危ういですが、自分はそういうことされてもおかしくない人間なのだと認識したので、あり得る話です)、気持ち悪いな、とか、いちいち思っていたのだけれど、それは男子高校生特有の無邪気さであり、そういうウェイなノリが世間における男子高校生のかわいさの一助となっている部分もあるな、と思ったので、気にしないことにしました、いろいろ考えた末です

何より救いなのが、元よりわたしは彼に対してまったく悪いことをしていないわけなのだけれど、彼の友だちたちは元々わたしのクラスメイトであったり、挨拶するような仲だったりするために、便乗して批判したり馬鹿にするような態度を取らないでいてくれているっぽいことです

元々この疑心暗鬼が始まったのは1年生の最初のころにクラスの男の子たちの間でわたしがやばい奴として扱われていたらしいと聞いたことなのだけれど、最終的にはその評価が撤回されてきちんと仲良くしてくれて(別に最初から仲良くしてもらえないな感は持ってなかったんだけど)、表層だけじゃなくて芯の部分を観て評価してくれる人もきちんといるんだな、ということがわかった、芯の部分が素晴らしいのかと言われるとそんなことはないと思うけれど、彼らの物差しではきちんと『ふつう』に入る人間だったのだと思う、自分の気色悪さはなんとなく自覚しつつあったので、どうにかしたいなと思っていたのだけれど、でもちゃんと見てくれる人がいるなら、このままでもいいのかな、と思えました、なんていうか、うん、周りの人に恵まれていて、しあわせです、ありがたい

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わざわざ折り合いがついたと書く必要もないのだけれど、何となく宣言したかったので書きました。友だちに言おうかなとも思ったけど、向こうからしたらどうでもいいと思うので、ネットにした、はあ、なんだか疲れてしまった、exhaustionです(疲労)

なんか今日の記事全体的にかっこつけててやですね。でも書きたいことが書けて良かった、ネットだからなせる業、今日はそんな感じ、勉強、がんばってます、読んでくれてありがとうございます、おやすみなさい