20161111:ひゃほう!

ぎゃふん!こんばんはほとけです。

今日は~~近所の資生堂カウンターで口紅の相談をしようと思っていたんですけど、蛍光灯の下で見ると案外昨日買ったリップ悪くないなと思ってしまったし、おなかがペコペコだったので帰ってきちゃいました。「このあとたのしみがある」という気持ちで一日を乗り切るものの、肝心のたのしみを迎えるころには疲れ果てているというわけなのだった。

~~~~~~~~~

今日もわがままを言います。

人間誰でもかもしれませんが、わたしには外モード/内モードがあります。学校の校舎に一歩足を踏み入れるまでは、まだ家。いや、家じゃないけど、外モードじゃないので、恐ろしくテンションは低いし、あんまり友だちに会いたくない。好きじゃない人はもちろん、男女問わず、好きな人を見かけても、相手が気づかない限りは、声を掛けません。イヤホンで世界から距離を置いている。

そこに無理矢理踏み込んでくるのが昨日も話した最近明るくなろうとしている子で、彼女は例え声を掛けた時わたしがにこりともせずとも、気にしていない様子なので(もはや慣れているのだと思う)、まあいいんですけど、問題は別の人。今朝は視界の端にさして好きではない友だち(しかしいつも声を掛けてくる)のコートが目に入ったので、急いで降りなきゃ!と思ったのですが、捕まってしまいました。声を掛けるでもなく、黙ってわたしの二の腕をつかむのです。そして、満面の笑みでもなく、遠慮がちな笑みと共に「おはよう」を投げかけてくる、わたしはイヤホンを外して、「おはよう」を返す、顔はあまり笑えていないと思う

彼女は前述の彼女のように慣れるほど深い間柄ではないし、彼女もわたしのことはそんなに好いていないんじゃないかなと思うんですが、それでも声を掛けてくる。日中ならともかく、朝は自分から誰かに声を掛けるという習慣がないので、彼女の中には「知り合いには声を掛ける」という習慣が身についているのかな~~、と、思います

同じ系列に「下駄箱で友だちと会ったとき、おはようを言ったあと靴の履き替えを待って一緒に教室まで行くか否か」という問題があって、相手がさっさと靴を履き終わってくれれば相手に判断を委ねられるんですけど、大抵自分が早く履き終わってしまう。ゆっくり歩きだすか、ええい!と切り捨ててスタスタ歩き出すか。。。最近は「誰もそんなに気にしない」という結論に至って、割と気にせず歩いています。

~~~~~~~~~

『パーソナルスペース』って、やっぱありますよね。二の腕を掴まれるのも本当はすごく嫌で、好きじゃない人とは肌を触れ合わせたくないんだな、と思いました、肌が触れていなくても、帰り道、知らない下級生がバス待ち中に、そんなに混んでいないのに、並んでいるときすごく詰めてきて嫌で、二、三歩離れたのにまだ詰めてきたから、とうとう別のバス停まで逃げてしまったんですけど、う~ん、なんだかなあ

『嫌』をどんどん我慢できなくなってきている気がします。昔はもっと我慢できていたと思う。我慢しなくてもいいことなのか?当り散らしはしないまでも、不機嫌は顔に出ていると思うし、なんだか申し訳ないな、と思う、世間に

むっとした顔ばかりして、すみません、昔はもっと笑っていたのに

移動教室中、好きだった男と廊下ですれ違ったので「ワ!!」ってして、怪訝な顔を見てガハガハ笑いながら教室に入ったんですけど、なんだか急に(余計なことしたな、、、)と思ってプチへこみしたりしました、でもいつまでも見過ごすばかりで何もできないわたしでいたくなかったのだった

自意識過剰が過ぎるのだ!人から見られる自分を気にしすぎだった、かつての評価を耳にして今も気にしすぎている、昔はもっとしていたのだと思う、「にこにこしてなきゃ~~~」って思ってたんだと思う~反動がきっときているのだ~~

でも話を聞けば聞くほど、人から見た自分を想像すればするほど、(わたしめっちゃやばそうなやつなのにそれでもなお仲良くしてくれる人たちこそ真のほとけでは?)と思うので、たぶん友だちたちは皆実家が寺なんだと思う

現実では抑圧していた気持ちをネットに放っていたわけだし今も割とそうだが、現実にもそれを滲みださせつつある、そのために常に心の中でファック!って言いまくっている感じで生きてるけど、それくらい過激派でも悪くはないと思うのだった!反旗翻してこうぜ!

ちなみに今日は晩御飯の湯豆腐ときんぴらヤーコンがとってもおいしかったし、明日は講習だけど土曜日だし、サイコーです。卒業の日が待ち望まれますね。

有村かすみも髪型によっては冴えなく見えるということを発見したので、わたしも髪型次第ではきれいになれると信じてがんばります。明日も生きるぜ~~おやすみなさい!