20161106

忍者ブログでやっていた昔の日記を久々に読み返したら、言葉の使い方が自分のものではないように感じられて、すごく驚きました。新海誠のアニメ映画の小説版みたいだった、あと毎回好きな男の話しかしていなくて、「若い~~~~~」って感じでした。たった1年で人間が置かれる位置というのはずいぶん大きく変わるものですね。

模試が終わって家に帰ってきて、ご飯を食べて、ず~~~っとパソコンの前に陣取っている。依存です。プア~~~

あっ、でも映画とかも観ました。最近映画がアツいです。勉強はアツくない。

友人カップルなどを観ていると、気兼ねなく「I love you」を言える相手がいないのは寂しいことだな、と思います、つらくてつらくてどうしようもない時でも、わたしにはすがる相手はいなくて、ただひたすらに悲しい音楽で泣くか眠るかしかない、気持ちをぶつけられる人間はいない

美人になりたい垢抜けたいきれいになりたいかわいくなりたい、それは思うのに、2日くらいで努力のモチベーションが果ててしまう自分にも呆れる、でも続けようと思えばいくらでも続けられるはずなのです、続けないことを選んでいるのはある意味わたしで、よくなりたいとは言いつつも結局は望んでいないのかもしれないと思う

友だちは昔髪を染めましたが、似合っていない事に気付いたのか黒髪に戻りました。正解だった。彼女は細くスタイルもよい。垢抜けていると思う。

外見が優れていないことは絶対悪のように感じられてならない、そういう思想の友だちを見てやべーなって思ってたけどいざ振り返ってみると自分がそうなっている、自分がだめだからか知らないけれど、さしてかわいくないのにかわいいふりをする人が疎ましく思えてならない、心の底で「かわいくないのに」と思っている自分が時たま現れて、自分ってサイテーって思う、そりゃかわいくもなれねーし男にもフラれるし、当然だよ

自分をもっと愛してあげなきゃいけません。「かわいくないのに」の奥底には、「こいつ信用ならん」も含まれているんだけど、どうしたものか、わからぬ

とりあえず姿勢を正して生きます。生活の乱れは人格の乱れかもしれん、逆かな、わたしの中でイケイケのタグをつけていた彼女は、そう思われるためにたくさん努力して喰らいついて頑張っていたのでした、間近に見ると馴染み切れていない感じがして、無理していない?って思うけれど、彼女なりに頑張っているのだ、数段偉い、わたしもがんばる、がんばって生きましょう、おやすみなさい