読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

20161031

花束を君に贈ろう

愛しい人 愛しい人

どんな言葉並べても

君を讃えるには足りないから

今日は贈ろう 涙色の花束を君に

―――宇多田ヒカル 「Fantôme」歌詞特設ページより引用

どんな言葉並べても讃えるには足りない人がわたしにだっているのに、階段をワンフロア分降りれば会える距離にいるのに、自分が作った心の壁なのか、見えないガラスみたいなものが邪魔するかのようで、会いに行こうという気にも、なれない、会えたら嬉しいのに、会いには行かないなんておかしいよね

昨日も「Fantome」の話をしましたが、やはりとても素敵。全体としてお母さんのことを歌った曲が多いように思われるけれど、む~~ん、よいアルバムです。『忘却』がくるしい。

母がいよいよ勉学に励まぬわたしに業を煮やしています。「数学取るんじゃないの?」「国公立はやめるの?」取ります、行く気はないけれど受験はやめません、わかる、十二分に事実として今この状況がヤバいというのはわかっている、目を背け続けている、背けた先に良いことが何一つとしてないということもなんとなくわかるが、果たしてここで現実を直視して頑張ったところで、行く気のない国公立、行く気のある私立、行きたかったけれど行けない私立、全て受かったとして、選ぶ先は同じなのでは?

まあ、同じだとしても、ここではたぶん『がんばった』という事実が大事なのだとは思うのだけれど、突然学校が嫌になって通信制に転校していった友だちが学校のレベルを下げたことにより黙っていても評定がブチ上がる運びとなり、自己推薦で国公立に行く、というチートプレイ(と呼びたいけれど、これはおそらくチートではない、まだ受かるかわからないけれど大変賢いな、と思った)をしでかそうとしていて、それがまかり通る世の中なのであれば、この三年間わたしが耐えた諸々っていったいなんだったんだ?と思う、しょうがないことではある

彼女も彼女なりに、わたしもわたしなりに、生きる道を探さなくてはならなくて、誰が悪いとか、それはずるいとか、そういう話ではない。しかし少なくとも勉強しない私は悪い。偏差値がよくても判定が良くてもしなきゃいけないもんはしなきゃいけないのだ

とりあえず生きます。おやすみなさい