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20160929:秋のかおり

今日は割と元気なので更新します。

体育大会二日目が終わりました。うちのクラスはいくつか決勝に上がった競技があるみたい。わたしが参加していたバレーボールは、惜しくもブロック2位で抽選に外れてしまいました。みんな試合に負けた時泣いていた

当のわたしは昨日と同じく全くボールが来ず、かといって点を決めるたびに集まってワ~~~!!!!ってするほど彼女らと精神的距離が近くもないので、ただひたすらにアンダーハンドパスの構えをしては直立、拍手、アンダーハンドパスの構えをしては直立、拍手、を機械のように繰り返していました。それが8回目に差し掛かろうかというところで交代の号令がかかり、気づけば相手側のマッチポイント、わたしはチームのデキる友だちと交代しました。迎えてくれた友だちの「おつかれ」に含まれた(この人何もしていないけどな、、、)みたいな空気、少し苦い表情、を汲み、「なんもしてないけどね笑」と自分から言ってしまった。しかし家に帰ってきてLINEを開くと、交代の号令を出した女の子から「(交代させたことを)気にしてないか、楽しめたか心配で、、、」というわたしを気遣う旨のメッセージが届いていて、こんなにも良い人なのにそれでもどこか信用できないような気持ちになるわたしは一体なんなの?というような具合でした、この体育大会にかける思いがまるでないわたしにとって、彼女のやさしさは逆に痛かった、ハナから楽しむ気がないんだからもう、完全に杞憂なわけで、気にさせたことが申し訳なかった

しかしクラスおそろいのTシャツが生乾きで着られなかったためにひとりだけ黒いTシャツで、強そうな雰囲気もなく、点を取るたびにはしゃぐでもなく、ボールも来ないため直立するのみ、となるとコート上での浮き具合たるや凄まじいものだったと思うし、よくあの状況に耐えたなと思います、自分を褒めたい。自嘲気味な笑みを浮かべていたためかいつもより帰宅後の法令線が濃かったように感じます

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行事が終わるとみんなが中心となった人に「ありがとう」を言う、それはとても美しい光景のように思えるけれど、どの人も唐突にいい人になったように見えて不思議な気持ちになる、褒める、ありがとうを言う、ねぎらう、ことは決して悪いことではないのに、違和感を覚えるのはなぜなのかしら

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学年の浮かれ具合と女たちの化粧や巻き髪や身の回りの装飾品の激しさは昨日より増していて、道を歩けば頭に日の丸を差している女が歩いていたり、まあまあカオスでしたが、クラスの外の友だちたちが相手してくれたのでよかったです。全員楽しそうな顔をしているけれど、本当に楽しくない人間はいないのかしら、どこかに隠れているのかしら、と思った

でもふつうにかわいい、くらいに思っていた友だち、今日見たらむちゃくちゃかわいくて、その辺の女どもの化粧は不自然なばかりで、ナチュラルなかわいさには勝てないんだな、と思ったりもしました

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ロードスターくんのサッカーは、3試合全て行ったのに前2試合は行ったタイミングで終わり、きちんと見られたラスト一試合、彼は控えでした。顔を合わせるたびに疎ましげな表情だったので、あ~わたしはなんというか、近寄らない方がいいのね、と思った、仮に男として好きでなくとも、『好き』な風味を出したらだめっぽいです

でもTwitterはお返事来るから杞憂かも。ぬぼーっとした顔をしているので、いまいち何を考えているかわからない

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あと友だちカップルの仲立ち人をしたりもした。仲立ち人というか、彼女の話を聞いて彼氏と話せばそれはもう仲立ちも同然のような気がする。恋人同士というのはもっとオープンなような気がしていたのですが、気を遣ってしまって言いたいことが言えない、というようなことが往々にしてあるようで、(はっきり言わなきゃ伝わらないのになあ)と思いました。ブーメランだけれど、最近よく思います。

というかどうせ他人事だし段々全部面倒になってくるので、こういうの向いてないなと思った、女が彼氏からのLINEを「ありえなくない?」と言って他人に見せているのも、男からしたら恐怖でしかないし、その事実知っているんだろうかと思うし、大体彼氏の方と喋ってると「いやでも付き合ってるのわたしじゃないし!!!弁解は彼女にしろよ!!!」と思ってしまう、会話しているのはわたしだからしょうがないことなのだけれど

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今日はそんな感じでした。時々友だちに会えると緊張感やかなしさから解き放たれたようですごくうれしかったし、サボるために通っていた図書室で夏目漱石の『三四郎』を開きながら、水を打ったような静けさの中、うとうとと眠りにおちてゆくのも気持ちがよく、教室の喧騒の中耳元で強く流れる電子音もまた心地よかった。

三四郎の中で、読み終えた新聞紙を『読み殻』と表現していたのだけれど、たばこと違ってその形は一つも変わっていないのに、「読み終わった」という事実だけで新聞紙は『読み殻』に姿を変えてしまうのね、と思った、なんだかそれがふしぎだった

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近頃どんどん涼しくなってきて、季節も本格的に秋、帰り道に感じる大気のにおいも揺れる木の葉や草の色もどんどん秋めいてきています、今日自転車をこぎながらすうっと息を吸ったら、鼻に抜ける冷たさが心地よくて、梶井基次郎の『檸檬』で描かれているびいどろの涼やかな味の描写を思い出しました。記憶では匂いだったのだけれど、味だった。

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今日はそんなところです。明日は気楽だし、後はこの3日間の物憂さを弾け飛ばすような何かを自分に用意してあげることが必要。何か少し考えてみます。それでは、また。