読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

201609010:日日是好日

日記 読書 レビュー

やっとこ読めた!!!!!!

hotoke-no-face.hatenablog.com

 ブックオフで手に入れた、『日日是好日』という本。なんというか、ここ数日(というより昨日だけかしら)塞ぎ込んでいた自分と、考えてもキリがないからずっと心の奥底にしまっていた様々な気持ち、が溢れ出てきて、いちいち涙を流してしまった

お茶の話でありながら、お茶の話でない。解説を書いた柳谷小三治さんの言葉でありますが、内容としては、著者・森下典子さんが、お茶を習い始めた大学生の時から今までの、お茶を通じて学んだこと、感じたこと、などを書き記した一冊。最初はお茶のきびしい作法にいらだちを見せるのだけれど、長く続けていくうちに、段々と"気づく"瞬間がある。それは繰り返し行っていたお点前の練習がすんなりできるようになることだったり、水の落ちる音や雨の音、匂いや季節の移ろいに敏感になること、だったり、もう様々なのだけれど、その描写がまるで目に浮かぶような鮮やかさで、食い入るように読んでしまった。

ところどころに出てくる胸を打つ言葉の中で、特に今のわたしの心に響いたのが、

ものを習うということは、相手の前に、何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ。それなのに、私はなんて邪魔なものをもってここにいるのだろう。 心のどこかで、「こんなこと簡単よ」「私はデキるわ」と斜に構えていた。わたしはなんて慢心していたんだろう。

つまらないプライドなど、邪魔なお荷物でしかないのだ。荷物を捨て、からっぽになることだ。からっぽにならなければ、何も入ってこない。

 これは著者の典子さんが初めてお点前の練習をしたときに、「もう一度全部やってごらんなさい」と先生に言われて、「できる」と思っていたのに、何もできなかった時の描写です。

『慢心』って、わたしにぴったりの言葉ね、と思った。中学生のころに生徒会に入って、高校でも続けて、中学のころは文章を書くのが上手ねといつも褒められていたし、高校でも読み方が上手と褒めてもらえていた。仕事の方はうまくいかないこともあったけれど、おおむね認めてもらえていた。今は引退して、全部を失くして、最初は居場所もなくなったような気持ちで、たぶん残ったものはプライドだったのだと思う。の割に普段は結構ちゃらんぽらんだから、『生徒会』という付加価値がない今では、ただのだめな人でしかない。無論それをなんとかしなきゃとするべきなんだけど、許してくれる周りにかまけて2年生までは何もしていなくて、3年生になって誰も許してくれなくなって、それなのにプライドだけはしっかり持ち合わせていて、だからこうして自分を許してくれない先生に反抗心を見せていたんだなと思った。ただのわがままだったんだわ。正直何をするときも、「私はできる」と無意識のうちに過信している自分がいる。だめなやつ。

自分は何も知らない、ということを知ること。だいすきだった倫理の先生が『無知の知』について話していたのを思い出します。ソクラテスと茶道はつながっている。

こう考えていくと、哲学というのは国を超えるのですね。『人間』という存在はどこの国においても同一で、ソクラテスの言うことがアメリカの人には通じて日本の人には通じない、ということないし、茶道が外国人に人気なのもそういうことなのかも。いつも胸を打つのは、案外同じような言葉だったりもします。哲学か~。

落ち込んだ時、全部やめちゃいたいとき、だいじなことを見失いそうなとき、都度読み返したい、生きる指針になりそうな本でした。心にじんわり沁み渡ります。

会いたいと思ったら、会わなければいけない。

好きな人がいたら、好きだと言わなければいけない。

花が咲いたら、祝おう。

恋をしたら、溺れよう。

嬉しかったら、分かち合おう。

幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。

それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。

道に迷ったら、ぜひ読んでみてください。

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

 

~~~~~~~~~~

後輩に先生のことで相談を受けました。なんだか彼も担任とのことで悩んでいるみたい。彼の担任の先生、細かい人なものだからけっこう大変なようで、若者の反抗心も相まってもやもやが止まらないのだと思う、わかる、わかるよ

でも話してくれるのはうれしいです。先輩ということは特に意識していないのかもしれないけれど、うれしい。なんだかさっきからMステのせいかくるりの「東京」が頭の中を流れています。相変わらず訳の分からないこと言ってます。

一緒にいる人たち、一緒にお弁当を食べている人たち、みんな一緒にいても楽しそうじゃないし楽しくないのにな、って思っていたんだけれど、みんなはもしかしたら楽しいのかもしれないし、楽しくないのはわたしが楽しもうとしていないからで、仲良くしたくないからで、今のクラスにも馴染もうとしていないからで、それは全部昔の楽しかった思い出を忘れたくないからで、だから「置いてけぼりだな」って思うのは、全部自分がそうさせていることなのだった。自分のこの状況は、たぶんいつだって自分自身が無意識のうちに呼び寄せているものなんだわ。

一週間前から飾り始めたりんどうは、ついに二分の一本だけになって、毎日毎日水を変えているけれど、ついに花を咲かせずに終わってしまいそう。でも花はみな色づいたままだしあと一週間弱くらいは持ちそうな感じがします。小さな虫がよくついているんだけどどこからか湧いてきているのか心配。花はきれいなんだけどなあ

さて、明日はイエモンのライブです。うれしい~~~!!!久々に中学の先生に会うのでたのしみ。がんばろ、それではまた。おやすみなさい。