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喰う寝る遊ぶ

電気戻りました・地震を通じての学び

9/6 3:00すぎの地震から41時間経って、20:00くらいに電気が復旧しました。2日も経ってないし寝てる時間もあるので、電気なしで過ごした時間って普段の時間の尺度で考えると決して長いわけじゃないんですけど、これ明日の昼とかまで電気戻ってなかったら結構つらかったな~と思ったので、どんな感じだったか詳しく書いておきます。

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まず地震発生時。わたしはがっつり寝てて、多分親の方が早く気づいて起きたのかな、テレビの緊急地震速報の音と衝撃とスマホのアラームで起きて、画面に表示される「震度7」にびっくりしつつなんだかよくわからんまま揺れをやりすごし、まだ若干揺れているうちに(出口!)と思って扉を急いで抑えて両親に「大丈夫!?」と叫びました。二人とも居間に出てきていてみんなでテレビを見て、10分か15分くらい見たあたりで電気が全部消えました。みんなで「うわー…」って言って、とりあえずわたしが持ってたLEDライトで色々照らして、ラジオ聴いて、トイレとか行って、水出るの確かめて、そのうち日が昇り始めて、とりあえず寝ました。寝てる間もちょこちょこ揺れてたしその度に緊急地震速報が鳴るんであんまり眠れなかった。揺れの感じはとにかく横に揺さぶられる感じでした。地震の被害って結局揺れの方向によるところが大きいと思うんですけど、5弱かそれくらいでも、幸い物が倒れるとかそういうことはなかったです。東日本の時は揺れの大きさはもう少し小さかったけど長くず~~~~~っと揺れていて気持ち悪かったんですが、今回はそういうことはなかった。ただやっぱり方向や住んでいる場所によっては、同じ市内でも液状化して家が傾くとか、家のものめちゃくちゃに倒れるとか、そういうところもありました(友だちの家とか)。

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で、とりあえず眠れなくて6日の朝6:30くらいとかに起きて、水出るの確かめて、ブレーカー落として、停電になったら水も止まると思ってたんで、飲料用に折り畳み2Lタンクに水貯めて、あとお風呂の水も貯めておきました。お風呂入ってなかったんでついでに軽く水浴びしたんですけど、寒くてちょっとやってやめました。あんまり眠れてなかったんで朝まで飲んで帰ってきたときみたいなムカムカがあって、そのあとしばらく寝転がってたような。そのあと両親が起きだして、父は様子見に仕事場へ。母と私は家で残ってたごはんとたまたま買っておいたお惣菜のから揚げ、冷蔵庫の塩辛とかを食べました。水がずっと出続けていたのが本当にありがたくて(とはいえ念のため洗濯機・お風呂・やかんなどに水はためてた)、水があれば修行みたいになっちゃうけど一応お風呂も入れなくないし、食器も洗えるしガスコンロで料理もできるしお米も炊ける、これがほんとに強かったです。

ある程度落ち着いた後、暇だしカセットボンベの量が心もとなかったので近所のスーパーに買い出しに。ツイッターで開店前か開店直後くらいに結構人が並んでるのは観てたんだけど、昼ちょい前くらいで案外並ばず入れました。カセットコンロのガス3本入り2つとウーロン茶と、インスタントカップ麺を10個。とりあえず想定は3日くらい。帰ってから「苫小牧の火力発電所(道電力の半分を賄っている)が一週間くらい戻らないらしい」って話が出てて、これは長期戦になるかな~と思いつつ、そうこうしているうちに電波がダメになったので暇つぶしにギャグ漫画を読んで過ごしてました。友だちがスーパーで社員として働いてるんだけど、慌てふためいている一方で家をとりあえず投げ出して働いてくれている小売店の方々、ほくでん、消防、救急、警察、インフラ系の方々にマジで頭が上がらんなという思いでした。ほくでんには全部落ち着いてからお礼の手紙を書きたい…

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そのあと父も帰ってきてみんなで晩ごはん食べて、充電しに車に行きました。星、むちゃくちゃきれいだった。テレビはふつうにやってたけど、車の外は真っ暗で不気味で、その間何度も震度1~2くらいの地震速報が流れてて怖かった。満充電を待たずに家に戻りました。ちなみに晩ごはんは土鍋で炊いたごはんと焼きナスしょうが乗せ、きゅうりのナムルでした。母は仕事の時手抜きメニューになるので「なんか普段より豪華だね」「停電で久々に家族そろってごはん食べるっていうのも皮肉だね」と笑ってました。土鍋ごはん、ジャーで炊くよりめちゃくちゃうまい。ここまではなんだかちょっと非日常を楽しめる余裕があったかな…最後まで余裕がなかったということはなかったけど、電気復旧間際は周りの家も続々電気がついていて(なんでうちだけ…)とか(これ1週間復旧しないのかな…)とか、そういうもどかしさはありました。

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そのあとは寝支度して寝て、今日のお昼はサケフレークとか納豆とかでごはん食べて、漫画読んで、日が暮れて、夜ご飯食べて(今日は鮭焼いたのと野菜炒め)、車に充電しにいくか~ってところで電気がつきました。電気がついた瞬間本当にうれしかった!!!!母と手を取り合って喜びました。父は店も復旧しただろうってことで急いで家を出て行って、まだ戻ってきていません。温かいお風呂にはいれるのか~と思うとうれしいな…

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長くなりましたが、我が家はかなりラッキーポイントまみれです。具体的に挙げると

①食料や飲料の備蓄が十分にあり、おそらく5日くらい停電だったとしても命の危険はなかったこと

②わたしは防災対策として懐中電灯などの入った非常用ポーチを持ち歩いており、夜の明かりもある程度確保できたこと、電池の備えもたっぷりあったこと

③水が絶えず出ていたこと

④車があり遠出せずとも充電できたこと、ガソリンも潤沢にあったこと

⑤純粋な揺れによる被害がほとんどなかったこと

⑥ガスコンロ・ガスボンベが家にあったこと、またすんなり手に入ったこと

です。通算で2時間以上は調理していたと思うんですが、ガスボンベは使いかけと新品1本のみ使用で済みました。ガスコンロ・車に限らずとも2~3日充電できる環境(大容量モバイルバッテリーなど)は必須だなと思いましたね。Twitterなどで色々と出どころのないデマが流れましたが、やはりTwitterの公式マークのついたアカウントの情報とラジオしか信頼しちゃいけない感じですね。身内に関係者がいるなら、その方の話とか。あと音楽が聴ける媒体は大事だったな、漫画も結構よかったけど、個人的には音楽が必要でした。大して好きじゃないWANIMAにも若干励まされた。岡村靖幸の声を聴いたときめちゃくちゃうれしかったな…復旧してすぐに電気を聴きました。

3.11経験者の方とかが「避難所に推しグッズを持ってけ」みたいなこと言ってたの見たけど、あれはマジですね。当時小6で3.11の印象がめちゃくちゃ強くて、だからというのもあって結構防災意識が強いんですが、3.11はほんとにしんどかっただろうなと…生き残るのも大変ですけど、延々と終わりの見えない避難所暮らし、いつ出られるのか、出てどうするのか、職も家もない、みたいな状況では本当にしんどかっただろうなと思います。うちも家じゃなくて避難所待機だったら、いろんな面でもっときつかったと思うので。

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あと②の非常用ポーチですが、わたしは普段からこれを持ち歩いてて

・生理用ナプキンひとつ

・マスク

・携帯用トイレ

・ウェットティッシュ

カロリーメイト系の食糧、チョコレート

・カイロ

・LEDペンライト(単3電池1本で使える)

・歯磨きシート

・ハンカチ&ティッシュ

・毎日飲む薬

ばんそうこう

・身近な人の連絡先を書いたメモ

が入ってました。今回役に立ったのはペンライトくらいですが、昔ライジングサンに行ったときに備えて買ったペンライトがもうひとつあったんでよかった。今回役立ったのはセリアのやつだったんですけど、単3一本で使えるんで便利でした!停電になると夜明かりなしでは心細いのと単純に動きづらいので、ライトが一人一つあるとだいぶ気持ちに余裕ができました。あとモバイルバッテリーもあった方がいいですね!ライジング勢、キャンプ用品がかなり役立っている様子でした。

なんにせよ停電で一番きついのは「気持ちの余裕がどんどんなくなっていくこと」とわたしは感じました。普通にいつ余震が来るかわからない状況だし、今わたしの部屋は倒れるものが全然なくて安全ですけどそれでもやっぱり怖いです。口にしたことは言霊になるんじゃないかって気持ちもあるからあまり不安を口にするのも怖いんだけども、しあさってくらいから母の実家の道東に行って成人式の写真を撮るんですよね、そのあとせんぱいの家に行くんですが、道東も危ないって言われてるとこなんで、何事もないといいけど…という気持ちです。とにかく圧死しないところを選んで眠るしかない。笑

とにかく備えあれば憂いなしということを強く感じました。地震は怖いけど、家が真っ二つってことはまあそうそうないので、大体のことは避けられたり、軽減できると思います。家族で被災することも考えると、もっと多く備えておいた方がいいものもあるなと思ったので、いろいろ落ち着いたらまた買い足そうと思ってます。親も「ほとけの防災意識が高くて助かった」と言っているので、これを機に家具の固定をしてくれるともっとありがたいんだけど…。

とりあえずそんな感じでした。生命線を見つめる日々ですが、わたしせんぱいと結婚するって信じてっからな!!!それでは長々と失礼しました。関西・北海道の復旧していない地域の方々、まだまだ不安の続く夜ですが、必ず良くなりますからね!!わたしも持ち出し袋など用意して準備して眠ります。それではおやすみなさい。